生きるために暮らす
“キチンと自立する“ということ
東京で暮らしていた頃は、空虚感に苛まれながらも、多忙な日々を邁進し続けることで自分自身を保っていた。
れっきとした大人ではあったが、キチンと自立をした大人に成長していたかは愚問であり、生きるための、食べ物、住居、衣服など、身の回りを包む生活は、その殆どがお金で購入した誰かがつくったもので、埋め尽くされていたからである。
原住民と呼ばれている民族の生きるための暮らしに憧れ、本当の自立に向けて、一歩踏み出したいと願い、慣れ親しんだ東京を後に、奈良へ移住の決断をした。
私にとって、生きるということは、食べるということであり、自ら食べるものを創出する術を身につけることが、自立への第一歩に思えたので、浅はかな経験ではあったが、野良仕事に丹精を込めながら、自分と向き合うコトも同時に、始めたのだ。
年老いた田舎の達人達は、農業を学びたいと願う私を寛容に受け容れてくれては、常日頃から、変わり者だと不思議がってくれたのである。
私自身、これまでと言えば仕事にかこつけて、肉体を疎かにしてきたので、すぐさま肉体は悲鳴を上げて、精神的にも疲労が極致に達してしまったのである。
生きることは生かされるほど甘くはなく、培ってきた人生の経験も、大地を前にしては、何の役にも立たないと思い知らされたのであった。
包みこむ暖かい光
奈良の生活に慣れてきた、ある冬の出来事がある。
お世話になっていた老夫婦に、山仕事を任され、小雪が舞う中、来る日も来る日も山に入り、何年も手入れがされずにあった杉山の下草を刈り、枝打ちをすることが仕事であった。
半月を過ぎた頃、山が息吹を吹き返しては、みるみる変わっていく光景を目の当たりにし、枝を打つたびにキラキラした太陽の日差しが、下草を刈った大地に差し込み、森を形成していくのであった。鳥のさえずりや大地から沸き立つ水蒸気の中で、自分の存在と自然との共存の恩恵を感じれる瞬間を共有することが、出来たのである。
自立とは共に立つことでもあることに気づかされたのだ
ONENESS
必然性なる感覚を実感すること、サスティナブルという社会に、己を通じてシェア出来る仲間たちと共に、壮大であり、循環する自然のダイナミズムを感じながら、懐古趣味に陥らず、前を向いて希望ある未来を創造していきたい。