Art-thinking

芸術思考の雑記ブログです。

月のリズム

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古代マヤの叡智

農業を始めて気付かされた事が沢山あります。その一つに、宇宙のダイナミズムの中で私たちは暮らしているのだと、それを感じる事、それこそが生きる術であるということがあります。
 
私には何人かの農業の師がいます。その一人に、メキシコの大学で宇宙工学を学んだ方がいます。ご実家が北陸の農家で、両親は朝早くから夜遅くまで土まみれで働いているのに、何故うちは貧乏なんだろうと、幼少期を過ごしたそうです。そんな背景から退職後に農家のサポートをしている方でした。その方から気付かせていただいたことを記したいと思います。
 
その方は、大学のプログラムで仙人と2年間生活を共にしたそうです。毎夜決まって山の頂に立ち、宇宙を観察するという事が日課だったと話していました。マヤ文明から伝わる、天文から様々な考察をし、答えを導き出すという仙人だったと仰っていました。
 
地球という天体は、太陽系にある惑星の一つです。表面に水、空気中に酸素を大量に蓄え、多様な生物が生存することを特徴とする惑星です。円に近い楕円形の軌道を描いて太陽の周りを公転し、また自転しています。月は地球の唯一の衛星で、地球の重力と月や太陽の引力は、地球に大きく影響を及ぼし、潮の満ち引きを起こします。
 
月もまた地球の周りを楕円の軌道を描き、自転しながら約29,5日かけて公転しています。地球上からの観察において、月の満ち欠けは太陽の位置関係で決まります。太陽と同じ方向にある場合を新月、反対方向にある場合を満月、この現象もまた地球に及ぼすエネルギーに変化をもたらします。古代の人々は、この宇宙の摂理を感じ、つぶさに観察し、道理に基づいて暦を導きだしました。
 
現代の私たちは、太陽暦という時間割を使用して生活しています。太陽暦は、地球が太陽の周りを回っている公転によって生じる1年間の変化を暦としたものです。 対して、月を基準とした太陰暦があります。太陰暦は月が地球の周りを回っていることで生じる月の満ち欠けの変化を暦としたものです。
 
年単位の太陽と同様に、もっと細かなリズムのある月のことも意識すると、もっと地球に寄り添うはずです。この事は、農業に限った話ではなく、地球という天体に生存する多くの生命体が反応するリズムです。私たちも、本来備えている身体の感覚を研ぎ澄まし、リズムをイメージして生活することで、多くの事を収穫できるのではないのでしょうか。
 

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Synchronicity
新月と満月の時は、エネルギーが大きく変化します。地球から見て、月の後ろに太陽がある状態が新月です。この場合、月の引力と太陽の引力が同じ方向からかかりますから、植物体や土壌水分が引っ張られて上昇していることをイメージすると良いと思います。生命のリズムは新月のとき内に向かい、この時期、動植物は栄養成長に傾きます。「始まり」や「増えていく」「浄化」といったエネルギーが高まる日とされています。種蒔きのタイミングに適しています。「願う」という気持ちが大切です。 
 
満月は月が地球から見て太陽の反対側に位置した時です。この時、地球への引力は両側に引っ張られているため、生命のリズムは外に向かいます。栄養成長ではなく、生殖成長となり行動のエネルギーが強く得られます。虫の産卵時期にあたり、人の出産も満月におきやすいと言われています。「達成」や「完成」といったエネルギーが高まり、「収穫」もエネルギーが満ちたこの時期が最も適していると言われています。「感謝」の気持ちを抱いて過ごす事が大切です。
 
この宇宙の摂理は農業や植物に限った事ではなく、地球に存在する全てのものに関係していることで、人類もその一つであるという事です。そのイメージを持って日々過ごすことが、大切なリズムだと感じています。そして、そのリズムは、心身を優しくゆったりと包んでくれるはずです。
 

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新月や満月の夜に、月光浴でエネルギーをチャージしてみるのも気持ちいい過ごし方です。

We are Earth-ists

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何処で誰から何を買うのか
私たちの生活は、常に消費することで成り立っています。しかし、その常に大量消費されている食糧・服・エネルギー等が、誰によって、何処で、どのように生産され、運ばれて来たものなのでしょうか。スーパーやコンビニで、何気無くレジを通過する商品、ネットでポチッと便利で簡単に買物する行為で消費した商品等、自分で意識的に調査しない限り、知り得ることはありません。
しかし、その無意識な消費こそ、世界中で緊急課題とされている様々な問題の要因の一旦を担うシステムに帰属している事になっているのだと、気付かなくてはいけないのではないでしょうか。
 
私たちは、自ら選択して消費する権利を持っています。大切なお金が自らの消費行動によって、どの様に社会を循環して、何に寄与し、何をもたらすことに繋がるのかを、知る努力が必要なのではないでしょうか。
 
先進国で生活する私たちが、知らず知らずのうちに、利便性や収益性を追い求めることを繰り返したことで、地球は人類だけが溢れかえっています。野生の動植物たちは安堵な住処を奪われ、多くの固有の生命が絶滅の危機に瀕している状態です。溢れかえった人と人との間には、途轍もない貧富の差が生じ、支配するものと支配されるものたちに、大きく二分されていく状況は、増大していく一方です。
 
このまま、次の世代に引き継いで良いのでしょうか。
 

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美しい未来をデザインし、自分たちでクリエイトしていくイマジネーション
日々の暮らし方は、人それぞれです。個々が自由だからこそ、私たち一人一人が出来ることが、沢山秘めているということです。ネット社会だからこそ、SNSがあるからこそ、多様な変化を瞬時にもたらす可能性があるのではないでしょうか。
 
こんな希望をシェアし、様々な叡智をキャッチし、リリースすることによって、矛盾だらけの社会とは決別して、理想の未来に向かって、日々の暮らしをクリエイトする術を学び、育み、そして、そんな想いを抱く人を一人でも多くなるきっかけをつくることが大切なのではないかと考えています。
 
未来社会へと継承すべき、古来より伝承され培われてきた伝統的な食、衣、住を中心とした動植物と共存する生活や物づくり、利便性のなかに失われつつある技、智慧、想いを伝承し、その素晴らしさを国内強いては世界に向けて発信していく環境。そして、古の先人たちの豊かな生活から遠く離れてしまっ た現代社会に、健康な従来の生活と、より良い社会を復興させていきたいと思っています。
 
利便性や贅沢な豊かさ、ライフラインの整備された環境と、経済社会が進歩するにしたがって、恵まれた自然環境から人々の生活が、かけ離れてしまった現代社会です。  
 
そうした流れを受け、私もそうであるように、都会の人々が田舎へと移り、先進的で伝統的な田舎の生活に移行し、かつて主流であったグローバリゼーションは、ローカリゼーションへと推移しています。地域独自のポテンシャルを計り、独自の伝統や地域性を見出すことにより、それぞれの未来を見極め、日本だけでなく世界の人々が国境を越えて未来の地へと移住を始めています。
 

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地球に寄り添うクリエイティビティ
それぞれの地に残された伝統文化の復興をはじめ、地産池消、僅かに残っている伝統技術の伝承者の方々から文化や技術を継承していくこと。 そのような伝統文化と現代の先進テクノロジーとを融合させることによって、新しい文化と未来を生み出し、現代に住む人々の意識もそこに融合し、昇華していくことに寄与したいと、一人でも多くの人たちが考えれば、未来は自分たちで美しく彩っていく事が出来るのではないでしょうか。
 

美しい環境、優しい心、理想的なコミュニティの実現に向け、それぞれの地に沿ったサスティナブル・ヴィレッジを創出し、それぞれの環境特性を生かした、懐かしくて新しいコミュニティが様々な土地に創出し、これら全てを“新たな伝統の始まり”と位置付け、世界中に発信・ネットワークすることで、日々の暮らしをエシカルへと変換し、世界中から知恵や賛同、意見や協力を募ることが可能となり、より一層の発展が可能となると考えます。

 

7世代先の地球の幸せを実現するために、理想的未来は自分たちで創る。
 

そんなクリエイティブ・マインドを持って生活をRe-Startを切ることをきっかけに

 

新たな伝統が始まります。
 

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生きるために暮らす

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“キチンと自立する“ということ
東京で暮らしていた頃は、空虚感に苛まれながらも、多忙な日々を邁進し続けることで自分自身を保っていた。
 
れっきとした大人ではあったが、キチンと自立をした大人に成長していたかは愚問であり、生きるための、食べ物、住居、衣服など、身の回りを包む生活は、その殆どがお金で購入した誰かがつくったもので、埋め尽くされていたからである。
 
原住民と呼ばれている民族の生きるための暮らしに憧れ、本当の自立に向けて、一歩踏み出したいと願い、慣れ親しんだ東京を後に、奈良へ移住の決断をした。
 
私にとって、生きるということは、食べるということであり、自ら食べるものを創出する術を身につけることが、自立への第一歩に思えたので、浅はかな経験ではあったが、野良仕事に丹精を込めながら、自分と向き合うコトも同時に、始めたのだ。
 
年老いた田舎の達人達は、農業を学びたいと願う私を寛容に受け容れてくれては、常日頃から、変わり者だと不思議がってくれたのである。

 

私自身、これまでと言えば仕事にかこつけて、肉体を疎かにしてきたので、すぐさま肉体は悲鳴を上げて、精神的にも疲労が極致に達してしまったのである。
 
生きることは生かされるほど甘くはなく、培ってきた人生の経験も、大地を前にしては、何の役にも立たないと思い知らされたのであった。
 
ニュートラルになる心にとって、プライドは邪魔になるだけだったが、それも全て、寛大なる大自然は、受け容れてくれたのである。
 
包みこむ暖かい光

奈良の生活に慣れてきた、ある冬の出来事がある。
お世話になっていた老夫婦に、山仕事を任され、小雪が舞う中、来る日も来る日も山に入り、何年も手入れがされずにあった杉山の下草を刈り、枝打ちをすることが仕事であった。

 

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半月を過ぎた頃、山が息吹を吹き返しては、みるみる変わっていく光景を目の当たりにし、枝を打つたびにキラキラした太陽の日差しが、下草を刈った大地に差し込み、森を形成していくのであった。鳥のさえずりや大地から沸き立つ水蒸気の中で、自分の存在と自然との共存の恩恵を感じれる瞬間を共有することが、出来たのである。
 
自立とは共に立つことでもあることに気づかされたのだ
 

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ONENESS
必然性なる感覚を実感すること、サスティナブルという社会に、己を通じてシェア出来る仲間たちと共に、壮大であり、循環する自然のダイナミズムを感じながら、懐古趣味に陥らず、前を向いて希望ある未来を創造していきたい。
 

理想の社会は、素朴でシンプルな暮らしであり、愛に溢れている。
テクノロジーと懐かしさを融合した素敵な出会いとなるはずだからだ。

 

十数年、東京で暮らした後、奈良の暮らしも十年が過ぎ、少しずつではあるが、理想に追い付いてきた。これからは、理想の社会づくりを開拓していこうと思う。
 

自分と向き合ってきたように、社会と向き合っていこう。
美しい未来へ、大切な愛と想いを込めて・・・